新聞の切り抜きを意識してみました、脅迫状? ははは

まとめて泣き言・どうしてくれましょうか?



2006年 7月〜 9月くらい

ある競艇客の引退



「最近、気力がなくなってよ、昔ほど競艇に燃えなくなかったんだよなぁ」
ちょっとだけ寂しそうな目をして、そんな感じのことを口走るようになった。
「だってょぉ、俺の知ってる選手がみんな引退しちまうし、新人はどれみても同じような走りで特徴ないしよ、あげくに江戸川も俺の知ってる江戸川じゃなくなりかけてるしなぁ」
いいたいことはわかる。50年近く江戸川に通いつめて、いろんなモノをみてきただけあって、ここ数年の江戸川競艇場を含めた競艇の変化についていけなくなってる部分を感じているに違いない。
なにより、古くからの江戸川だけの友人、といっても名前知らぬが顔なじみ程度でも、彼ら古い競艇客にとっては、充分すぎるほどの交友関係に違いない。そんな友人たちがひとり、またひとりと三途の川競艇や血の池ボートへホームプールを移し、みかける顔が減ってきているという寂しさに耐えられなくなってきているのかも知れない。
開催のたびにスタンドのどこかで見かけ、年を重ねて同じような顔ぶれが同じように老けてゆき、それでも江戸川の水面にボートが走っていれば、家人の冷たい視線を一時でも逃れられ、誰にも余計な詮索もされず、うそや大げさ、見栄をはってもそれを甘んじて受け入れ、あるいは話半分で聞き流してくれる『他人』の暖かさを感じることができた、そんなあたりまえの光景と環境が目の前からだんだんかすんでいくこと、それに耐えられなくなってしまったとき、おそらく競艇場から離れていくのだろう。
その時はそう思っていた。
「やっぱり、あれか? 昔からいた競艇客が減ってるってのが気になってるんだろう?」
「それもあるなぁ……、殺し屋に、サンピン、センセイにキ○ガイ。やつらホントみなくなったもんなぁ……」
当然、それが本名でも職業でもなく、その風貌や言動から勝手に命名したあだ名なのだが、確かにそのネーミングセンスは秀逸といえた。
「あ〜。そいや数年前から見なくなったなぁ」
「まぁ、競艇場で見かけなくなったらそいつは死んだも同じ。どうせ年金ジジィなんだしな、ふぅ」


2006年 9月〜2007年2月くらい

「おぅ、俺ガンなんだってさ」
「ガン? そりゃあ競艇客は家族のガンだろ? しかも悪性の」
山形の山肌がだんだん赤く染まりはじめる頃にかかってきた電話、しかもいつもの口調でいきなりこう言われると、やっぱりボケたくなる。しかし現実は変わらない。
「へっへっへ、それを言うなって、どうやら前々から調子悪いって言ってたのはガンのせいだったらしいや」
「まぁ、年齢的にはどっかおかしくなっても仕方ないけど、しかしいきなりガンってのもまぁ、らしくていいけど。で勝算はあるのか?」
「う〜ん、その辺は医者とおまえの方が詳しいだろうからなんもいわねぇけど、とりあえずいまんところは江戸川で6−5−3の目がでるよりは難しくないって言ってたけどな。とりあえず明日っから入院なんだけど、手術しちまったら帰ってこられない気もするから、しばらくは放射線と抗ガン剤で病院と家をいったりきたりして様子をみるわ」
「そう思うならそれでいいし、俺は何も言わない。まぁ、年齢も年齢だから、そう簡単に悪化することはないとは思うけど、入退院の繰り返しと再発転移のモグラたたきは覚悟しといた方がいいな」
「まぁな、医者に同じこと言われたよ、……でな、おまえにも同じこと言われたんで少し安心したしそうさせてもらうよ。さて、治療費稼がないとだ……」
「江戸川か?」
俺の問いかけには無言だった。とはいえ、ほかに稼ぐといえば中央競馬くらいしか思い浮かばないし、勝率を考えたら江戸川だろうな、そんな感じで軽く考えていたのも事実だった。
「そういえば、横山やすしって。住之江の水面に骨まいてもらったんだってな?」
「ああ、確かそう」
「いいなぁ、もし俺が死んだら……全部はさすがに困るけど、少しくらいは江戸川の水面かスタンドに灰をまいてもらえないかな?」
「はいはい、それはその時になったら考えるよ、ついでに三途の川競艇でしばらく遊べるくらいの種銭を用意してやるって。で、俺は東京に帰らないでいいのか?」
「まだ仕事残ってるんだろ? それよりもおまえって、確か病院に見舞いにいったヤツの死亡率100%だろ、そういう縁起でもないやつに見舞いに来てもらったら治るもんも治らなくなるから、見舞いはいい、自宅にいるときに顔見せてくれたらいいよ」
「よくわかってらっしゃる、それだから病院は嫌いなんだよ」
「なにせ最短は翌日」
「わ〜、それを言うなぁ!!」
電話の向こうでいつもと変わらない笑い声が聞こえた。その声でまぁしばらくはもつだろう? しかし、正式な病名を医師より知らされ、余命宣告こそなかったものの、この頃からある程度の覚悟はしていた。
生まれて初めて、知識なんかないほうがいい、知らないことには興味を示さなければいい、そんな気持ちになっていたのも確かだった。

2007年 2月中旬〜3月下旬くらい

関東地区選手権の優勝戦に近い頃、仕事に一区切りをつけて東京に戻ってきた。
実家では、相変わらずスポーツ新聞と夕刊紙をテーブルいっぱいに開き、競馬と競艇の予想をしている親父の姿があった。
見た目は変わりがない。それでも、なにか毛髪だけじゃなく生気までが薄くなっているような姿が目の前にあった。聞けば土日以外まったく外に出なくなったという
。 それでも江戸川や錦糸町に舟券や馬券を買いに行く気力だけは残ってるのか? なんとなく笑いがこみ上げてくる。まさに老博徒の姿を垣間見た気がした。
「なぁ、たまには馬券買うのに錦糸町じゃなくて、WINSあるんだし、浅草まで足伸ばさないか?」
そんなふうになんとなく、声をかけてみたくなった。
「え〜、面倒だよ。錦糸町どころか、おまえがきてるなら代わりに買ってきて欲しいくらいだよ」
「まぁまぁ、今日は江戸川もやってねぇし。もう何年も浅草寺にお参りしてないだろ? 俺も、なんか急に浅草寺にいきたくなったからついてきてくれよ。車代は出すしよ」 「おいおい、病人を引きずり出すのか?」
「ああ、確かに病気だな。でも親父の病名はギャンブル依存症による再生不良性金欠。こればっかりは不治の病だからしかたねぇ」
「うめぇこというなぁ」
「さんざん仕込まれたからな。ほれ、最近競艇も競馬もあたんねぇっていってたろ? ゲン直しに賭場を変えてみるのも手だぞ?」
「まぁ、それもそうだな……、いくか?」
なんとなく照れくさそうな顔をして家を出、タクシーを拾って浅草へ向かった。
その後、浅草寺とWINS浅草をお参り(?)し、祖父の代から40年以上ひいきにしている浅草のとんかつ屋に連れ込み、遅めの昼飯を一緒に食べることにした。
「そういえば何十年ぶりだ? 競艇場以外でおまえとメシ食うのって?」
「さぁね、でもたまにはいいだろ?」
「まぁ、悪くはねぇな。……なんか今日買った馬券は当たりそうな気がするな、なにせ馬券以外は金を1円もつかってねぇしよ」
「まぁ、投資みたいなもんだ。とーぜん、あたったら半分もらうぞ?」
「けっ、やっぱりそうか。まぁ、いいけどよ」
家に戻り、レース結果を聞くやいなや、なにかわけのわかんない叫びをあげ、バイクに飛び乗り錦糸町へすっ飛んでいった。
そんな後ろ姿に、病人の影はまるで見えなかったのが印象的だった。
「やっぱり、金がいちばんのクスリなんだな……。いくらの配当があたったんだろ?」
……実はあの時、20万馬券が当たって帯抜きをした。と、親父の口から聞いたのは入院直前のことだった。

2006年 3月24日

平成19年3月24日 第6回日本モーターボート選手会会長賞 初日
12R 江戸川選抜  H1800m 電話投票締切予定16:32
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艇 選手 選手  年 出 体級    全国      当地     モーター   ボート   今節成績  早
番 登番  名   齢 身 重別 勝率  2率  勝率  2率  NO  2率  NO  2率  123456見
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1 3983須藤博倫29埼玉52A1 6.85 45.13 6.88 38.46 19 43.48 71 30.77       8
2 3326生方厚成39群馬54A1 5.43 37.21 7.33 66.67 30 13.04 55 29.63       5
3 3746岡瀬正人32岡山51A1 6.32 45.83 6.94 54.72 49 48.15 21 12.50
4 3941池田浩二28愛知53A1 8.24 69.44 0.00 00.00 46 34.78 49 44.00
5 3684清水攻二33山口50A1 6.63 40.87 5.29 28.57 26 46.43 33 52.38       7
6 4072森永 淳26佐賀50A1 6.61 50.00 7.13 50.00 31 12.00 29 54.55       6

「今日、山形に戻るんじゃないのか?」
「いや、週明けの入院を確認してから戻るよ?」
「そかぁ、じゃああれだ。入院費稼がせてくれよ?」
「俺相手に花札でもやるのか?」
「ばぁか、江戸川だよ。今日の12R」
「あ、初日だっけ?」
「おいおい、しばらく江戸川いってない俺が開催日覚えてるのにお前が覚えてないってのは問題だぞ?」
「まぁ、確かに」
前回の入院時によくない話を主治医から聞かされていて、山形での仕事をキャンセルして東京にずっと残っていた。それ以上になにか得体の知れない不安に襲われ、東京を離れることに躊躇があった。
「で、何買うんだ? ついでに買ってくるぞ?」
「電話投票でいいぞ?」
「いや、せっかくだから江戸川行ってくるよ。久々に舟券みたいだろ?」
「バカ、舟券もって帰るってことはそれははずれ券じゃねぇか。……まぁ、確かになぁ、昔江戸川だけで電話投票やってた時代には会員登録してたけど、なんかノミ屋で買うような感じがしてイヤだったんだよなぁ。あれ」
「ノミ屋つかってたのか?」
「競馬だけだよ、当然負けがこんだら警察にチンコロしてそいつをパクらせて清算」
「最悪だな?」
「向こうだって支払い渋るんだから当然の報いだろ? まぁ30年も昔の話だから時効だよ」
「たしかにそういう使い方もありかな。で、買い目は?」
「ああ。いや、その前に、久々におめぇの能書きも聞いてみたいぜ」
「んだよ、このメンバー。格上の4.池田とイン+地元巧者の1.須藤に人気あつまるだろうけど、間違いなく池田はイラネ。怖いのは池田のまくりに乗っかる5.清水と3.岡瀬だな。1.須藤アタマで1−5−3 1−3−5。群馬野郎の生方がどんなレースすっか知らないけど、ここで出番はないだろう?」
「なるほどな、それはおんなじだな。確かに池田はイラネぇな、あっても3着までだ。俺も135の絡みだと思ってるけど、狙いは岡瀬だ。岡瀬実は江戸川うめぇぞ? 3=5−1・4 3=1−5・4で頼むわ」
「振り分けは?」
「各10枚でいいや、この前当たった馬の残りがあるからよ。たまには特券で買ってやんねぇとな」
「わかった。とりあえず、ネットつないで江戸川の中継映しておくから、レースみておいてな」
「お、すまねぇな。やり方わかんねぇからほっといてたんだよ」
結果は池田不発、道中、池田をあやめた清水を岡瀬がさばいて3−5−1は18450円。
払い戻し金が発表された直後に携帯に電話がかかる。
「やったぁ! ほれみろ、池田どころか須藤まで叩かれてご臨終だよ。3連単でズク抜きなんか何年ぶりだ! おぅ、ちゃんと金もって帰れよ?」
その時、電話の向こうから聞こえた声は全盛期のオケラ声だったのだが……。

2006年 3月24日

平成19年4月9日午前1時 逝去。
4月5日に誕生日を迎えたばかりだった。
最初にガンが発見されてからおよそ1年だったそうだ。
江戸川開催3日目の26日に3度目の入院をし、29日には容体が急変。4月の7日にはもう意識もなく、まるで眠るように息をひきとっていた。
家族の誰一人として、死に目に会えなかった。
「死に目は買ってりゃいつか来るだろうからよ。どうしても買っちゃうんだよな」江戸川の穴場で、発売のおばさんに余計な口をたたいて、苦笑されてた姿がアタマに浮かぶ。
「ばかやろ、死に目は見せるもので買うもんじゃねぇだろ?」
ベッドに眠るように横たわるその耳に怒鳴りかける。
もう少し息子らしい言葉をかけてやりたかったのだが、どうしてもそんな言葉しか思い浮かばなかった。
最後に交わした言葉はやはり競艇。
「今回の入院は体力つけのつもりで行ってこいや、退院したら江戸川つれてくからよ。なにせ来年の2月に一回江戸川競艇場が改修工事でしばらく休業するらしいからよ」 「え? それは初耳だ。いつまでだよ?」
「確か2年くらいかかるって話だぞ?」
「うわぁ、それまで待ってらんねぇよ。……そうだな、久しぶりに坊やとパイロットのオヤジをからかってくるか?」
「待ってらんねぇって、そう簡単に逝く気はないだろう? でもまぁ、それがいい、坊やの予想は相変わらずネジが飛んでるぞ?」
「いや……。まぁ、とりあえず、頼んだぞ?」
「なにを?」
「いろいろな。じゃあ、いってくらぁ」
そういって病院へ向かうタクシーへ乗り込んでいった。
その後ろ姿が最後になってしまった。
親父の眠る棺の中に競艇新聞と種銭のつもりの本物の現金。それだけじゃあの世で足りないだろうと、通夜の前に家を抜け出し、横浜の中華街にある雑貨屋で買った、なぜかあった日本円を模した紙銭100万円分をいれておいた。それを、葬儀費用のためにおろした紙幣を封じていた紙封につつみ、棺越しには本物のように見せた、
「種銭貸しとくから、10倍にしろとはいわねぇけど、俺がいくまで三途の川競艇で増やしててくれな」
通夜の席で、事情を知らない親戚がその紙銭を見て本物の現金に見間違えたところを見ると、種銭はあの世で本物の札として使えるんじゃないと思う。

2007年 4月13日すぎ

葬儀も滞りなく済ませ、喪主の役目を果たしたあと、4月15日の日曜日。
親父との最後の約束を果たしに江戸川へ向かった。
ひとすくいわけてもらった遺灰をもって。
江戸川で親父をよく見かけた場所、たぶん親父にとっていちばん居心地のよかった場所。1Mに近い堤防スタンドからターンマークに向かって遺灰をまく。
上げ潮の水面にいくつかの灰が流され、スタンドに戻ってくる。なにか満足したような波紋を広げながら。

小さく手を合わせ、聞こえるか聞こえないかの小さな声でつぶやく。

「江戸川競艇場の関係者の皆様、ありがとうございました。江戸川競艇があったから、うちの親父は自分の人生に満足して逝けたと思います。50年近く江戸川に通い、ある時は大金を抱えて、ある時は帰りの電車賃すらやられ、ケンカや騒擾にも参加し、それでも江戸川から離れなかったのは、競艇、特に江戸川で開催される競艇が好きだったに違いなく、ただの競艇客に過ぎなかった親父ですが、おそらく誰よりも江戸川競艇場を愛していたと思います」

親父の好きだった江戸川競艇場。
一人の競艇客がスタンドを離れたその日、それでも出走ファンファーレはいつものように鳴り響き、2ストローク2気筒のモーターの音が水面に響く。
見慣れた光景、親父がずっと見つめていた光景。
いつまでもその光景があたりまえのように続くことを祈りながら江戸川競艇場を後にした。