更新履歴純粋に履歴になったかも。


2005年12月29日

ドメイン変更

 



 愚かなミスによっていままで親しまれていた自虐URL「okera.info」を失ってしまいました。そのかわりといってはなんですが「okera.tv」が取れたので、これで再起動をかけてみます。今度こそ失わないようにしよう><


2004年 1月 1日

葉月が化けました

 



 ヤラれ日記の名物(迷物)キャラであるところの葉月(関係代名詞的文章)のイメージが少し変わりました。葉月ファン(本当にいるんですね、これが)な皆様にはどううつるのでしょうか? ただ、原画さんは同じ人でも彩色の人が変わっちゃいました。けっこう雰囲気かわるもんですねぇ。


2003年 9月 1日

無imidasかなり更新

 



 スタ展やらそれにまつわるトラブルやらでかなり迷走してるようで、見ててイタいですね、競走会はぁ。で、それに伴っていろいろ項目増やしたり削ったりで新版をつくりました。


2002年11月30日

サイト移転

 

 まさか「オケラ」でドメインが取れるとはおもわなかったので、この際だから一気に移転してしまいました。確かここのサーバーは日本にあるヤツじゃなさげなので以前より少し重いかも知れませんが、まぁ生暖かく見守ってください。


2001年 3月 4日

新コンテンツ第2弾

 

 というほどのものではないけど、ポップアップ広告が猛烈にうざい(わたしの場合2枚出やがるんで)どうせ広告出るんだったらバナーの方が100万倍マシなので、掲示板も更新。誰が最初に「競艇客」まで登りつめるか? ってなカンジですな。


2001年 2月20日

新コンテンツ第1弾

 

 というわけで、読み物だけでなく、遊べる環境をつくろうかと思いまして『黄色の頁』に、もはや流行遅れの嫌いも高い「WEBバナナ」を置いてみました。カウンターはおまけでついてるので、消す方法が見つかったら消去します。


2001年 1月 2日

全然減ってねぇ……

 

 『黒の頁』の隠れた人気コンテンツ『真・江戸川データブック』を1998年1月1日から2000年12月31日までの間に全く江戸川を走らなかった選手のリスとへとアップグレード。とりあえず84期生(平成11年 4月22日選手登録)も何人か江戸川を走り始めたので不走者をリストアップしておきました、例によって日刊ターンマーク様の協力がなければここまでのデータは用意できませんでした。改めて感謝いたします。


2001年 1月 1日

やっぱり日記の形態を変える破目に

 

 『白の頁』迷物の『江戸川乞食のヤラれ日記』ですが気がつけば2000年は1月の数日を除いてほぼ毎日日記を書いているというありさま、このうえ2001年も日記をつけることをある程度強迫観念にも似た状況に追いやられているせいで、あと2年くらいはいじらなくてもいいようなレイアウトに変更。あ、そうそう、年賀状は正月6日くらいまで飾っておきます。


2000年10月 1日

日記の形態変える

 

 『白の頁』迷物の『江戸川乞食のヤラれ日記』ですが、「オゥ、コンチウクショー! 毎回毎回たかだか一日分の日記を読むのに3ヶ月分まとめて読み込ませるたぁ、どういう了見だおんどりゃぁあっ! と言う実にすばらしい指摘をいただきまして、10月以降は1ヶ月ごとのコンテンツという形をとります。いちおう2000年の分は少しずつ割ってみようかと思ってます。いや、まさか3ヶ月で200Kb超なファイルになるとは当初は思わなかったもんで、なにせ永遠の三日坊主だったんで、はい。


2000年 9月15日

舟券増えれば基準も変わる

 

 1年ぶりくらいの改版、なにせコメントが古くなってるモノもありましたし、3連単舟券の発売で選手の級別にも変化が発生してますからね。更新レベルじゃぁ追いつかないので改版扱いにしました。でも、まだ古い言葉、多いんだよな。


2000年 9月 6日

言ってるそばから文字が増える

 

 けっこう読み甲斐のありそうなHPですな、われながら。とりあえずタグなんぞを含めてテキストが1メガ越えているみたいです。にもかかわらず「青の頁」に日記の別冊と追加です。ご意見、ご感想は……、いらないです、いろんな意味で怖いから……。


2000年 8月23日

軽量化運動、画像だけがHPではないぞ……、そう思いたい。

 

 てなわけで、アクセス頻度の高いところ(黒の頁)の広告を記者席へ移動して、んでもって、大きめなGIF画像をとっぱらったのが今回の更新、これで、どんだけロード時間を軽減できるか、ある意味実験くん。いや、実はですねぇ、前に日記でAAで「怒」を書いたら友人が「こいつフリーウエアだけど使いやすいぞぉ」と本当に使いやすいAA作成ツールを貰ったので、いろいろ実験がてら使いこなせるようになったので寂しい頁のトップをAA(アスキーアート)に差し替え。とりあえず、オファーをしている画伯がヤラレちゃんのイメージ画像をまだ描いてくれそうにないので……。とりあえず、青の頁には「魔除けの野中くん」白の頁にはぷか師の画像を外して(いままでありがとうございました>ぷか師)「例の江野澤クン♪」のAA。本当はいろいろ選手のAA画像ギャラリーでも常設しようかと思ったんですが。いろいろ問題ありそうなので☆ わたしの使用しているツール(下絵加工用)は篠田 健さん作の「もぢ絵」というフリーウエアです。こんな楽しいツールをフリーウエアで流してくれている篠田さんに敬意を表します。興味を持たれた人のために、篠田さんのホームページは
こちらです。


2000年 8月 2日

仕事もせんと……、おめーはよぉ……。

 

 てなわけで、青の頁にコラム『江戸川乞食のヤラれ日記・番外編』を追加。貰って早々は結構イヤ〜な気分になってたけど、送らなくても見に来るだろうから送ったつもりで改竄しちめぇ! ってなカンジで、コンセプトは競艇客に配るとしたら? で徹底改竄しちゃいました、でも原文の雰囲気は残っているハズなので、チェーンメールを貰った気になって読んでください☆ あ、原文は保管してありますし、これの元、『ネパールのタントラ・トーテム』ってヤツらしくて、そのスジの人に聞いたら結構有名なチェーンメールらしいんです。と〜ぜんわたしゃ配るつもりはないですけどぉ☆ んで、一部で噂先行した新コラムはまだ書けそうにないですなぁ……、ヤラレの画像が……。


2000年 8月 1日

コンテンツ増やすのもどうかなぁ……でも

 

 てなわけで、白の頁に『江戸川データブック・2』を追加。いうまでもなく、江戸川開闢以来の大事件なだけに、データブックの中に埋もれさせるのもなんだかなぁという気になって単独での掲載とさせていただきました。新聞記事にならなかった客の声を拾い集めているところですが、当時この事件が発覚した当時に死ぬ気で博奕を打っていた江戸川の客もほとんどが年金ジジィかアルツの少女ハイマになってたり、すでに三途競艇へホームプールを移したりしてます。まぁ、風化は避けられないですが、当時の売り上げ金額なんぞを見ると、いかにアツい博奕だったかってのが解りますね。懐かしい……、このころは当然わたしゃモーターボート競争法に適用される舟券購入禁止者でしたけど、でも知ってるのはなぜ?


2000年 6月20日

いるわいるわ……そりゃもううじゃうじゃ

 

 ざっと560人、まぁデビュー1年以内の83期〜84期生に関してと長期欠場選手&2年に1走の選手会関係なロートル選手はあんまりカウントしないでいいかもしれないけど、1998年1月1日〜2000年6月19日までの約2年半の間江戸川を走らなかった選手のリスト化を日刊ターンマーク様の協力を得ましてついにコンテンツとして成立させました。……ここだから書きますが、おそらく登録番号2000半ば〜3000前半のB1級の不走選手と大多数の記念級はその9割が出走拒否と考えるのが正しいかも知れません。ふたたび日刊ターンマーク様から協力が得られましたら、更に機関が延びた(12月くらいをめどに)データ更新をしたいと思います。また、次節以降リストに載っている選手で、出走が確認された選手には時間が許す限りなにか印でもつけてみたいと思っています。


2000年 6月 7日

あらためて訊きます
ココから飛んでく人っているんですかぁ?

 

 『緑の頁』リンク先に一件追加。競艇恐怖新聞社全部のページにカウンターを設置したら、間違いなくカウント数が一番少ないのがここなのは火をつけるより明らか。単なるギャグのつもりで作ったもので普通なら実用度ゼロで「WWW」の概念からかけ離れているリンクってのもここでしょうね。相互リンクもそろそろ考えないといけないのかなぁ……などと一瞬でも思う。多分途中でイヤ気がさすんだろうなぁ……。(LINKページのソースを見れば理由が一目瞭然かも)


2000年 5月30日

まぁ、罠みたいなもんですね

 

 『青の頁』コラムより先に「ダメ人間チェック」を掲載。普通に競艇打ってりゃ間違いなく問題競艇群にたどり着くようなカウントにしてあるので、あまり気にしないでくださいなっと。とりあえず、そんなカンジです。コラムの方は鋭意制作中ってコトで。最近、ヤラレの言動やら行動が変わりかけているので困っているというのが本音ですわい。


2000年 5月18日

津のページ、HPならぬHT(ホームチラシ)だった……

 

 予想新聞ボートレース『研究』のHPのアドレス変更を反映。また、芦屋競艇場のホームページが開設されていたのでリンクに追加。ついでに津競艇場のガイドが消えていることを確認。ただし、リンクは残しておきます。なにやらチラシっぽいので不定期に掲載されそうな予感……。それと、フレーム化に伴い、ころっと忘れていたタグ("target" ですわ、とほほ……)をリンク全体に貼りました。これにてフレーム内フレームというぶざまなリンク表示にはならないハズです。無視すりゃいいんでしょうけどぉ、こっちの完全なミスですし、リンクさえ競艇恐怖新聞社のネタとはいえ、あのリンクを使って本当に飛んで行く人がいるみたいですし……。


2000年 5月16日

無理しちゃってらぁ

 

 世の中の流行に負けたのかどうかは別として、話のタネに携帯電話で見られるホームページを作成してみる。ところが、今持っている携帯にはホームページを見られる機能がないのでどんなデキになっているのかまったく不明。もし閲覧可能でそっち方面に詳しい方いらっしゃいましたらご指摘をお願いします。


2000年 5月 9日

そろそろジャンル別?

 

 一部の江戸川マニア様に好評な「白の頁・江戸川データブック」に、新着情報(単にネットサーフィンして見つけた記事とか)を追加。変わった理由での中止やら事件やら江戸川独自のものってのがデータブック掲載基準なので、単なる強風高波浪の中止順延程度では掲載しませんぜい。ヒマになったら国会図書館にでも行ってマイクロフィルムでも検索したろうか、などと画策中。


2000年 4月21日

なんででしょうねぇ?

 

 黒の頁に新規スポンサー様の広告を打たせていただきました。これ、JLCで発売されているものそのものです。つまりはメーカー直販窓口としてこんなイカれたサイトを向こうさんが指摘してきた訳です。もしご購入をお考えでしたら、こちらからご購入をお願いします。などと。


2000年 4月 1日

ほったら出てくる江戸川データ

 

 新聞を整理したらけっこう前の江戸川情報があったので追加。あと、WORD97で作ったHTML文書があまりにも見にくいのでかなり、項目が増えてきたデータブックをタグから全面改定。もしかしたらちょっと読みにくくなったかも知れないですが、ご了承ください。近日中に、この更新履歴もWORD97から変更しなきゃなぁ……。


2000年 3月31日

ムダにサーバの資源を消費しているって声は封殺☆

 

 『白の頁・江戸川乞食のヤラれ日記』気がついたら3月までの分でタグ含めて約130キロバイトというとんでもない分量になっていため、軽量化と、どうせ何度も見るもんじゃねぇと居直って2000年分を4月分から分割。しかし、読み返してみると分量ばかりで中身なし、ムダに電波飛ばしてるなぁ……。それと、なにかこの『ヤラれ日記』のファンの方がいらっしゃるとのこと。ありがとうございます。


2000年 2月18日

競艇関連の言葉ってずいぶんあるけどまだまだだろうなぁ……

 

 どうやら人気コンテンツらしい『赤の頁』無imidasに項目を追加、あんど結構数が増えてきたのでナンバリングをしてみる。δ版で現在159個とは驚き。本気で出版物にならないだろうかなどと一瞬だけ考える……、しかし内容を見なおしてそっこー挫折。


2000年 2月 4日

だいたいこれで形になったかな?

 

 『黒の頁』競艇恐怖新聞本紙のテーブル修正が終わりました。これで紙面が100%可変になりますので(たぶん)画面サイズにかかわらず閲覧しやすくなると信じてます。


2000年 1月30日

ただいま試行錯誤ちう

 

 細かい微調整を行っております。ビルダーとかワードとかスクリーンエディタとか、わけのわかんないツールをいろいろつかってページを作っているので、ソースがぐぢゃぐぢゃな状態なもんで、いろいろ掃除をしているところです。おかげさまで最近恐怖新聞がまともに掲載されていないコトが多くてごめんなさい。しばらく続きそうですが、見捨てないでください。おねがいします……。(よわい……)


2000年 1月29日

凝り出したらキリがないですね、ホームページって

 

 わたしのホームページ作成の先生であるところの(関係代名詞)万里さんをそそのかしてホームページのレイアウトをいじってもらう。叩き台だけ作ってもらえばあとはなんとかするつもりだったのが、気がつけば他のページもいじってくれて完全リニューアル化成功☆ ラーメン1杯1000円では安かったかも。そんなキモチ。あくまでキモチだけ……。お金ないですし……(滂沱)


2000年 1月25日

ほれ、江戸川巧者が勝ってるぞ、びわこ☆

 

 『赤の頁』無imidasの項目追加および内容の変更。あと、なぜか競艇恐怖新聞社にスポンサーがつきました、こんな有毒物満載のサイトに認可がおりるとは思いもよりませんでしたが、資金ショート寸前のため、ここに流れ着いた皆様、よろしくお願いいたします。


2000年 1月24日

いつの間にか新鋭王座戦。でも江戸川は27日から

 

 なぜかリクエストが多かった「江戸川乞食のヤラれ日記」2000年版を掲載開始。白の頁『江戸川データブック』に新着情報追加、白の頁をちょろちょろっと細工。ヤラレちゃんのエピソードはこんなもんでよろしいでしょうか? みかん師♪。以降、更新履歴のヨタ話はヤラれ日記に移行します。


1999年11月22日

またSGがはじまっちゃったよ。でも、江戸川は開催も場間場外もねぇしなぁ。

 

 津競艇場のサイトをやっとこさ発見できたので、慌てて『緑の頁』リンクに追加。これでホームページがない競艇場は芦屋だけになりましたが、まぁ、いずれはできるでしょう。さて、12月まで江戸川の開催がなく、明日から平和島の競艇王CCが開催。こんな所までじっくり読んでくださっているコアな読者の皆様には、いまさら説明は不要かと思いますが、出場条件はせしめた金の多い順番で11月末日時点の賞金獲得上位12名が出走条件となっている賞金王決定戦競走を目指して一発逆転を狙わせる為の開催って印象。口汚く言えば泥棒に追い銭を与える開催か、それともコソ泥を大泥棒に化けさせる開催になるか、というイメージしか考えつかないですわ。つまりは、優勝劣敗の原則に基づく勝負の世界に、TV的、つまり視聴率稼ぎのために出来レースみたいなタレントだけで構成するクイズ番組のように、どこぞの白痴タレントを勝たせるための「ジャンピングチャンス」的なニュアンスのある開催を用意することが本当に意味のあることなのだろうか? という意味ですね。基本は優勝劣敗な世界だし、「上は稼げるが下はいいとこ1000万」が現状な競艇界。金持ち階級(記念級選手)と庶民階級(一般戦主体選手)の格差を更に大きくするだけの存在でしかない気もします。だったらA1級になれやって声もあるでしょうけど、競艇を支えているのは記念でもSGでもなく、数多くの一般戦であるということを完全に忘れているような気がします。しかも、どこをどう転んでも賞金獲得上位10名の安定は揺るぎなく、今年も多分2席、つまり第11、第12位の椅子だけを争う展開になるだけの開催に優勝賞金4000万の金を用意する必要があるのかという点も疑問ですわ。その上で更にいってしまえば、おかげで完全にSGが賞金王を頂点となるピラミッドを構成することが確定してしまった気もします。つまり、他の7つのSGが単なる賞金王決定戦に乗るためだけのトライアル競走という定義付けをしても少しも違和感を持たないというわけです。だったら賞金王決定戦とダービーだけをSG格付けして、他のSGをG1。高松宮記念、新鋭王座、2000年4月からの競艇名人戦、周年、施改、MB大賞、女子王座をG2。競艇祭、新鋭リーグと女子リーグ、企業杯をG3としてくれた方がまだすっきりする。グレードを構成するピラミッドがまるで日本の人口分布のようで、見ていてなんともはやひじょうに気持ち悪いです。こんな図式、競艇だけですぜ、実際……。
 追伸・競艇恐怖新聞平和島版を準優戦と優勝戦で掲載する予定です。


1999年11月13日

ねぐらに戻れば午前4時。おまけに日曜は江戸川初日

 

 打ち合わせから戻ると、若い衆は飯喰いに出かけておって、もぬけのカラ。こちとら事務所の鍵を持たずに出たもので、2時間のロックアウト状態で危うく風邪をひきかけた……、奴等はよっぽどオレが憎いらしい……(ひと、それを逆恨みと言う)。さて、『白の頁』江戸川乞食のヤラれ日記、現存するものだけ編集してみました。この3年間が一番コアだったのかなぁって思い返すとそんな気がします。それと、結構ヒマだったのかなぁとも。今、なかなか書けませんしねぇ……。恐怖新聞を書けなかったせいもあるけど、今節は江戸川ではスタートバカの松本真吾が狙い目かも……。初日は江戸川へGOなわたし(起きられたら……)


平成11年11月11日

今日、F切った奴は恐らく世界で一番運のない奴かも

 

 ピンが6個並ぶなんてめったにないので、敢えて元号表示(笑)さて、「江戸川乞食のヤラれ日記」」まずはHTML化の済んだ1996年版から掲載します。残念ながら1995年以前の相当コアな奴は紛失してます(涙)その他も発見次第HTML化して掲載してみます。当然ながらできるだけ見やすく分類しますが……、改めて読み返すと、この頃のわしって、本当に仕事していたんだろうかと思うくらい、競艇ばっかやってるって印象しかないのが情けない。もしタイムマシンがあったら、この頃に行って、当時の自分に行ってやりたいですわ。『やい、コンチクショー! そこでオメーがそんな目を買うから、今のオレが金で苦労してるんだ、バッキャロー!!』と。結局買うなとはいわない訳ですが……。


1999年11月 8日

企画は充実。しかし、犠牲者と時間が足りない……

 

 11月8日13:29〜14:00頃に当競艇恐怖新聞社ホームページも1500ヒット達成となりました。これも皆様のおかげと感謝しております。さて、今日の更新は1500ヒット達成の報告をトップページへ、『白の頁』データブックに掲載し忘れた資料(発掘されたやつ)を追加。他にも梁島記者(元競艇選手・言っちゃ悪いがなんで記者できるの? あなたの選手成績で……と、昔思っていた選手ですが)のコラムなんかも発見したんですが、別にいいでしょう? で、WANTEDなんですが、昭和58年の江戸川騒擾の記事が消滅しています。おかげで正確な日時と騒ぎの規模とかの経緯が解らないんです。時間があったら図書館で調べてみようかと思っているのですが、もし持っておられる方がいらっしゃいましたら記事データ、もしくは記事の日付と掲載新聞だけお教えいただけないでしょうか?


1999年11月 6日

沢田菊司選手、28年間の選手生活お疲れさまでした。

 

 江戸川関連の記事がひっかかったため、データブックを更新。明日は晴れたら意地でも江戸川にいこうと思ってます。……もしかしたらヤラれ日記を書けるかも、ヤラレっぱなしな話だけは書きたくないけど……。さて、WINDWSの発狂問題に関して、いろいろアドバイスありがとうございました。おかげさまで再インストールなしで復帰しました。持つべきはやはりオケラネットワークと痛感しました。ところで、沢田菊司選手が一足早く引退しました。愛知の選手ながら江戸川でもかなりの走り手であり、それでもあまり人気にならなかった(記念斡旋が殆どだった気がしますし)点では安心して勝負できる選手でした。デカペラの創始者として艇界の歴史に名前を残しての引退、これからまだまだ……という部分だけが悔やまれます。鬼籍に入られた後もまた、三途競艇で江戸川巧者だった愛知の水野定雄選手などと横山やすし師匠にヤジられながら我々が逝くまでレースをやっていて欲しいと思っております。これ以上のコメントはしたくありません。競技の安全性云々は我々競艇客がとやかくいうことではありませんし、もし、安全で金を稼げる競技(選手側にとって)を求めるのであれば、モーターボートではなく手漕ぎボートで競艇をやってくれとだけコメントしておきます。(あえて、ここでは殉職とか事故死という言葉はつかいません。ご了承ください)


1999年10月31日

こんどはボタン関連まで発狂。なに、半角文字の「0」「2」「r」ってぇ!!

 

 メインマシンが発狂している現状、だましだましアプリケーションを起動して更新。ぷか師にいただきました記念ショットをgif画像へコンバートして掲載。もともとWORD97をいじってたらフォント関連が発狂して、荒業を使って直したらこんどはWINのグラフィック関連が発狂。ラジオボタンを含めて見出しの通り「最小化」「最大化」「閉じる」ボタンまでが半角英数字しか表記されないというありさま。今使ってるマシンの前で「前節の儲けで、(月賦だけど)ペンティアム3の500Mhzマシン買うもんねぇ」って言ったのに逆ギレをおこしたのかK6−233マシン!? 頼む、誤解しないでくれ! 別にお前が嫌いになった訳じゃないんだ、ただ新しい仕事をしてくれと言っているだけなんだ!! おれが悪かった!! ここまで書いて自分が浮気をしてるのがバレて怒っている彼女の機嫌を取っているような気がしてかなり憂鬱……。さて、江戸川6日間開催の3日目まで終わったのに、まともにひたすら電話投票だけで参戦しているありさま。11月3日の優勝戦も仕事で詰めていなきゃいけないというのに……。1日はガス屋がきて事務所のガス開通、2日は開いているのだが、種銭があるかどうかまだ解らない……。


1999年10月29日

相変わらずMSゴシックとMS明朝だけの世界。再インストールした方がいいのかなぁ?

 

 10月28日22;45頃に当ホームページも1000ヒット突破。これも皆様のご支援の賜物と感謝しております。さて、今節から競艇恐怖新聞のレイアウトを少しいじって見ました、初日なので抜けている部分(今節成績とか)がありますので、実際、ここに文字が入ったらどうなるか解らないですが……、素直に横書きに統一すりゃいいのにって声もありますが、関東モンとしてはやはりタテ組みの出走表にこだわりがあるもので、可能であるなら、いずれは新聞全体を画像データにして、完全に「ボートレース研究」や「競艇日本」みたいな紙面にまで、と考えているんですけどね……。技術もヒマも資金もないですわ。さて、本日から江戸川の初日、6日間開催で準優戦なし。関東以外の準優制を採用している一般戦を見るたびに不思議に思うのは「なんで準優乗り選手を二回走りさせるのかなぁ?」という点、朝のレースで待機行動違反とかF、L1なんかやったら賞典除外だっていうのに。準優選手二回走りの理由って、何かあるんですかね? 関東モンの素朴な疑問ですが……。


1999年10月28日

なんでフォントが急に読めなくなるんじゃ!! やはりWINDOWSマシンは生き物なのか?

 

 1000がオッズ100.0に見えたせいもあるが、万舟券的中証明書の発行を思いつく。本物は手もとに7枚ほどあるけど、それを渡すのもシャクなので、競艇恐怖新聞社特製のフォーマットで作成するつもり。それにあわせてトップぺージに記者席を設営、ちなみにピンクはかつて8艇立てとかの時代の7号艇の色だったそうな。さすがにそんな時代にわたし、まだ遺伝子にもなっていなかったなり。記者席には提携先の日刊ターンマークさまの運営する「競艇連絡会議」に関する話を常時掲載しておきます。ボランティア色が強いので、安心して協力をお願いいたします。「江戸川って本当に儲かるんですか?」「ピンキリ」……まだ垣内君がヤラレちゃんにいろいろ聞いているようだ……。さて、江戸川の開催がないので多摩川の方に少しだけ浮気、というのも日刊ターンマークのホームページで開催されているバーチャルHP競艇に出走しているため。単なる参加だけじゃなく、やはり投票は国民の義務と選択した選手から電話投票で買ってしまう。結果は聞かないで……。


1999年10月25日

日記を書くために手段を選ばない更新? いやいやそれは気のせいだ

 

 「白の頁」に江戸川データブックを仮アップ。クリッピングサービスでキーワードを『江戸川競艇場』でひっかかったものをピックアップ。西村さん、競走水面や入着率関係のデータだったら「白の頁」じゃなくて「黒の頁」ですよ(笑)……、ウラかいてごめんなさい、そして残念でした。本日は新事務所と立ちあげと移転作業のため、江戸川にはいけず。ただし、今度の事務所は江戸川競艇場に旧事務所より15分早くつける。家賃が安いから選んだというのは建て前だって言ったら絶対殺される……。とりあえずホワイトボードには江戸川競艇場の場内呼び出し番号だけは書いておこう。そうしておないと若い衆から間違いなく叩き出されるな……。きっと……


1999年10月24日

やっと恐怖新聞らしくなった。 気がつけば初日の鬼かも?

 

 開局以来欠場していた「青の頁」を新規に起動、わたし(江戸川乞食)がいじる場合は、こんな感じの企画ものコラム欄として当面運営してみます。これでやっと、枠色6色のコンテンツが誕生しました。今後の予定として、「青の頁」はコラムやコンテンツ運営を希望していた(笑)わたしが所属している競艇ML九州支部に解放する予定でいます。それに加えて大変なコトになってしまいました。「日刊ターンマーク」様の申し出を受けまして「競艇連絡会議」の江戸川担当という形で今後競艇恐怖新聞社が動くことになってしまいました、他にも江戸川をアツく語っているサイトはそれこそ競走水面の浮遊物なみにありそうなんですけどねぇ……。とは言っても内容を極端に変更するという訳ではなく、基本的にはいままで通りでいきます。だってぇ、競走水面や選手の画像データ入れたって、重くなるだけだし(それに加工したりコラージュさせてくれそうにないしねぇ)よしんば画像データを使ってページを作ったとしても、「マクール」なんかを筆頭にした競艇専門誌なんかに太刀打ちできるわけないんですから。当分は簡単なゴミ画像と、テキスト勝負と、オケラ視点で行けるところまで行くつもりですが……。本日の江戸川はとりあえずキジ5羽の浮き。本場で自分の買った舟券と前日予想を見たら全然違うのはごめんなさい。まさか全レース安定板だとは思わなかったなりよ。


1999年10月23日

頑張れ野口史郎!! まだほとんど稼がしてもらってないぞ!!

 

 不謹慎と言われても仕方ないが、江戸川の優勝戦で1枠の野口から勝負してきっちりヤラれているんで、その分を取り返すまではそう簡単に終わられては困るし、まだまだ先のある選手であるし、強くなれることは間違いないのだから……。さて、本日の更新はっていうと、インデックスを少しいじったことと、記事のないコンテンツの表記に、我々にとって一番縁起でもない言葉 を採用。この言葉を見たら、きっとたいがいの客は近づかないはず。本当は、新規に更新された所に何かすればいいのだろうが、それじゃ当たり前すぎて面白くない(ひねくれもの)。しかし、本業が思いきり忙しくて、ぜんぜん江戸川競艇場にいけないため、「ヤラれ日記」を普通の電波系コラムのコーナーにしてやろうかとまで考える始末。ところで、「黒の頁」の最初で、アタマ悪そうにご祝儀を強要しているのは競艇恐怖新聞社のアイドルにしようと策略している「ヤラレちゃん」です。どのくらいアタマ悪そうな子かは現在思案中ですが、たぶん、アニメタッチのイカす絵を万里さんか誰かに描いてもらおうかと思ってます。同時に新コンテンツの企画も水面下で進行中。おそらくは「白の頁」か、開局以来ずっと工事中の「青の頁」に載っけることになるかと……。期待しないで待たれたし。


1999年10月21日

どうした恐怖新聞!? 給料を縮めるんぢゃなかったのか!?

 

 トッページに、皆様お待たせ(?)の日本散財団のバナーを張りつけてメーラーに関連付けてみる、例によって万里さんありがとう♪ ついでに緑の頁も再構成してみる。それと図に乗って全体的に画面の見直しを考えてみる。あんまり変わらないという声は聴こえないフリをしてしまおう。しかし……、WORD97なんかで作ってるページが殆どな競艇恐怖新聞社、WORD97が作り出すHTMLって方言がきついような気がする……、フォントを勝手に明朝に変えたり平気でしやがる……。さすがKill Gatesと呼ばれているだけある。さて、江戸川初日。ヤラれ日記を書きたかったのに、ご覧の結果。本人も8Rから参戦してパーフェクトのおまけつき。但し、キジ1羽しか持っていかなかったので浮いた金とは言っても微々たるもの。それでも金を持って競艇場を出てこれたのだからよしとしよう。


1999年10月20日

アディオス本業! フォーエヴァー競艇!

 

 本業が押しているというのに、トップページにバナーを貼りつける。あーんど、緑の頁に「競艇リング」のアイコンを貼った。これでなんとなく(まだ申しわけ程度だけど)ホームページっぽくなったのが嬉しい。しかし、仮登録らしいので、明日の朝には「お前は競艇をナメているから却下」なんて拒絶メールが届くかもしれない……、びくびく。ところで、競艇恐怖新聞社のロゴやバナーの作者は江戸川の牛モツ煮込みのファンになってしまった万里さん、いつもさんきゅー☆ ちなみにこの万里さん、横浜黄金町というデンジャラスかつ筋金入りな環境にいながらヨゴレでもオケラでもないカタギ。しかし、初めて江戸川に連れて行った時に「ここのお客さんは、みんな紳士的ですね」と感想を漏らした……、どこがカタギじゃといいたくなるほど黄金町を、そして、その客層を知っている本物だったことが露見。いずれは帰れないヨゴレの道を歩むことは確定か?


1999年10月17日

これで外枠絡みのオッズが下がる……。なんてね☆

 

 リハビリついでに、断片的に競艇ML……、特に九州支部に投稿する際にちょっとずつ書いていたかなり高い授業料を払って手に入れた潮と風の関係を断片的だけど非開催日用のコラムとしてあるていどまとめて掲示。本気でこの通りだったら今ごろ蔵が建っているけど、かなり信憑性の高いはずの潮と風の関係なのでご参考までに……。江戸川乞食の極秘メモ級の掲載です、でも、ネタはまだまだいっぱいあるんで、小出しにします。さて、江戸川優勝戦、前日にヘンな話を聴いてしまったばっかりに山口を買えずに即死、典型的なアウトの出番のある水面だったことを失念していた。節間は黒字だったけど、最後の最後でコレってのがちとくやしい。次回の千葉テレビ杯は本場に行きたいなぁ……。


1999年10月16日

通夜の席を外して更新。バチあたりの誹りは甘んじてうけよう

 

 トップページに競艇恐怖新聞社の正式ロゴを張りつける、制作してくれた万里さんありがとう☆ さんきゅーふぉーらぶ☆ リンクを貼ってくださる方、こいつを勝手に改造してバナーにでもなんでもしてやってください。木曜日(14日)に母方の祖父が急逝したことを昨日の晩に知らされる。慌てて母の実家へ向かう。そして本日が通夜、その席では親族揃って三競オートの話で花が咲く、あげくの果てに通夜の風習を無視して帰宅してしまう(だって斎場に宿泊施設がないんだもん……)。バチ当たりここに極めり。なお、肝心の祖父は博奕が大嫌いだった御仁で祖父の前で博奕の話などしようものなら烈火のごとく叱られた記憶が。きっと親族の正体を見極め、草葉の陰で泣いておろう。謹んでご冥福をお祈りします。江戸川4日目、佐藤の出走するレースのみ電話投票。香典代と生花代を捻出。結婚式と葬式の金を競艇で稼ぎ出すロクデナシぶりに乾杯。こんなバチあたりな孫に育ってごめんなさい、おじいさん。


1999年10月15日

新聞本紙よりも売りは「無imidas」? 本末転倒選手責任外

 

 赤の頁「無imidas」にページ項目を更に追加。緑の頁「Links」を正式起動。しかし、実用サイトがシャレにならない。「無imidas」もだんだん偏見競艇用語辞典の色合いが強くなってきているのはご愛敬。江戸川3日目、よりによって富田章がフライングの返還欠場。シャーロックホームレスが4−2 2480円を取ってお金の匂いを嗅ぎながら「僕は富田のフライングまで予想していたよ」などという始末、まだクスリから立ち直っていないようだ。


1999年10月12日

気がつけば江戸川も初日開催☆ ヤラれたりない人はGO!!

 

 当ホームページの最大の目的である「競艇恐怖新聞」がやっとこさ起動、やっとホームページらしくなった訳ですな。そんなこんなでだ、競艇メーリングリストに告知、もう後には引けない……。かくなるうえはどこまで当たるか……、ではなく、どこまで本業と両立できるかどうかってのが最大の問題だったりする。継続は力なり、ってのは嘘で、多分継続は恥なり、かも知れず。(以降、予想の更新、つまりは競艇恐怖新聞の貼り替えに関しては更新とはみなしませんのでご了承ください)


1999年10月11日

今日の大阪版デイリースポーツの一面が競艇だったのがびっくり!

 

 (……見出しから続く)おまけにまくり屋よっちゃんがきっちり4−5第一本線で総流し……、同じ目……。で、更新内容。みんなしっかり見てますねぇ……。指摘のあった「無imidas」項目の記載ミスと掲載希望項目を追加。山室はトボけた口調のときは、間違いなく自信があると見ていたのが正解。でも、どんなレースだったのかまだ見てないので不明なれど、とりあえず、山室に乾杯。


1999年10月10日

わたしの夢は水野−濱野谷で二万舟ふたたび☆ 夢は寝てみるものって声は封殺

 

 トップページに細かい細工。白の頁にいろいろ追加。ヤラれ日記は蒲郡の併売の話から始まる予定なのがちょっと残念だけど仕方なし。更新履歴なのか日記なのかだんだん解らなくなってくるけどご愛敬。


1999年10月 9日

山室と水野には足を向けて眠れない☆ 尻は向けるかも知れないが

 

 いろいろ見てくれなんぞの指示を受けて、すでにアップした所を微調整。生まれて初めてHTMLをいじったが、なかなか面白い。遊ぶために勉強するってのは競艇にも通じるかも知れない。戸田のダービー4日目、一般戦組は売れないので穴党としてはありがたい。


1999年10月 8日

なにやら見出しをつけるのがお約束らしい……。でもなぜ?

 

 思い立ったら運の尽きという訳で暫定開局。競艇用語辞典「無imidas」をアップ。戸田のダービーが3日目だったことをすっかり忘れてしまっていた。