江戸川データブック3・江戸川騒擾の歴史

近ごろ騒擾が少ないとお嘆きの貴兄に、これらの記事群は古き悪しき時代(1980年以前)より我々の先達が踏みしめてきた江戸川騒擾だけを再構成したリストです。
また、記録としての重要性と公務員の公人性を加味した上で、当時の選手を含めた関係者に関しては選手には当時の登録番号を、開催執行関係者等には当時の役職を含め、実名にて掲載いたします。また、騒動をつくりだした市井のファンに関しては、その殆どが年金ジジィ、あるいは三途競艇へホームプールを移していることもあり逮捕者等を含めて、すべて名を伏せさせていただきます。
 そして、それぞれに騒擾の起きる背景としてのヒント的なものとして、特に古き悪しき時代の世相、物価なども資料として併記しておきます。なぜ当時、簡単に鉄火場で騒擾が起きるか独自の解釈の資料としてご参考くだされば幸いです。
最後に、言うまでもなく記録としての記事であり、本コンテンツは特定の人物や江戸川競艇自体を貶めることが目的ではないことを重ねて申し上げます。



江戸川でファン騒ぐ
11R、竹内の出遅れ発送めぐり 1960.03.09


 8日行われた江戸川競艇最終日第11R(特選軽ランナ2400メートル)で本命人気の2号艇竹内勇選手(25=愛知・登番0891)が約1秒間(4艇身・約8メートル)出遅れて発走したため、ファン約30名が”2号艇を欠場にして舟券を払い戻せ”と開催本部へ押しかけ、数名のファンが本部建物へ投石、一時は不穏の形成を示した。これに対し主催者側はただちにスタート写真を掲示するとともに、竹内選手は適法(競技規則第十五条第二項では正発走時後一・五秒を経過してもなおスタートラインを通過しない艇は出走の資格を失う:注・1960年当時の競技規則)の旨を繰り返し放送したため、ファンはやっと納得、午後5時半ごろ解散、大事には至らなかった。

補足:当時返還があったのは正時より1.5秒以上出遅れた場合の出遅れ欠場のみで、フライングは単なる失格。フライング・出遅れに関しての返還欠場が正式に制度化されたのは昭和36年(1961年)からでして。実は表向きは竹内選手だけが記事になっておりますが、このレース、3号艇の八木 茂(群馬・登番0794)選手がフライングによって失格してて4艇先行の競走になっちゃったわけです。で、勝ったのが予想では無印選手だった6号艇の安宅信夫(登番1470)選手で、2着に1号艇の森 大音(登番0635)が入って6−1で4290円。そら暴れたくもなりますな。なんか単なる団交みたいな書き方してますが、実はこの日も役員室のガラスが16枚割られて、小松川警察の警官が120人集結して暴動一歩前ってなところまでになってた訳です。この時代で、この程度で済むわけがないと複数の新聞をリサーチしてたら、果たして細かく書いてある記事が見つかったので補足しておきます。また、この事件が江戸川競艇開闢以来、一番最初に新聞沙汰になった記念すべき騒擾事件でもあります。

資料:1960年の物価 大卒初任給平均15,000円 コーヒー1杯60円 入浴料(大人)17円 ガソリン1リッター44円 タクシー初乗り80円 ラーメン1杯45円 お米10キロ990円 食パン1斤30円 散髪代200円 1ドル360円  カラーテレビ(17インチ)42万円
この日(8日)の江戸川競艇入場人員(最終日) 2649名 売上21,851,700円(12レース制)

世相:岸訪米阻止のため全学連羽田空港を占拠。新日本安保条約調印。三井三池労組無期限スト突入。清宮貴子、島津久永と結婚。安保阻止国会デモ、全学連警官隊と衝突。全学連首相官邸に突入。チリ地震津波三陸地方を襲う。安保阻止第1波実力行使で国労・動労ス。全学連国会突入、東大生樺美智子の死。アイゼンハワー訪日中止。岸首相辞意表明・総辞職。東京山谷で住民3000人マンモス交番襲撃。ローマオリンピックで日本体操男子3種目優勝。自民党が高度成長・所得倍増政策を発表。カラーテレビ本放送始まる。国勢調査、総人口9341万8501人。右翼少年が浅沼社会党委員長刺殺。森永インスタントコーヒー発売。だっこちゃんブーム。

投票場メチャクチャ、それでも開催
江戸川競艇でファン大騒ぎ 1972.12.10


”手助け入着不成立だ” 2ヶ所で5艇転覆、1艇だけ再走
 9日行われた江戸川競艇(都営第9回)3日目第10レースで、6艇中5艇が転覆する事故があり、騒動事件になった。
 転覆の難をまぬがれた1艇と事故のあとエンジンを回復した1艇が遅れて入り、ルール通り連勝式は成立したが、これを不服とするファン約500人が主催者に「レース不成立、舟券の返還」を叫び、第二投票所に火のついた新聞紙を投げ込んだり、窓ガラスを割るなどし、投票所内部をメチャメチャに壊した。
 このため、主催者は直ちに小松川警察署と警視庁第2、第8機動隊250人および特科隊に出動を要請、警戒に当たったが、午後6時55分、ファンは自主的に場外に退去した。
 問題の第10レースはスタート直後の第1マークで2号艇西田 栄(登番2461)が転覆、これに1号艇福中 大(登番2081)と5号艇吉田勝彦(登番1895)が追突転覆、また、これとは別に1マークを回ったところでは6号艇貴田宏一(登番0976)に3号艇松尾平秋(登番2328)が追突して6号艇が転覆、更に4号艇石塚憲明(登番1897)も転覆するというダブル事故となった、助かったのは3号艇(松尾平)だけで、1号艇(福中大)は35秒遅れでエンジンを始動して追走。この2艇で入り連勝式は3−1で9400円の穴。しかしファンは救助艇の搭乗員が1号艇の福中を助け上げたし、ルール違反であると主張、騒ぎに発展したもの。レース後ファン代表十名と主催者で団交が行われたが、ビデオテープには証拠となる部分が写っておらず、結局押し問答を繰り返しただけに終わった。  なおきょう十日、江戸川競艇4日目は予定通り開催される。

レースは成立する  本田孝一開催執行委員長代行の話 救助艇の搭乗員が手を貸したということだが、そのような行為は見られなかった。レースは明らかに成立する。

明らかに手貸した  ファン○○○○さん(42)の話 審判はみていなかったなどといいかげんなことをいっている。何千人という目で救助艇の搭乗員が手を貸しているのだから納得がいかない。

 この騒擾に参加して名誉の負傷と家族の冷たい視線を正月過ぎまで受けた江戸川乞食の実父(当時血気盛んな30代)の話<本人の記憶を元に構成しておりますので、一部願望や一方的な主観などもまざっているかと思われます> ああ、これが伝説の『江戸川大騒擾』だな。懐かしいモノよくみっけてきたな。……あの時は巧者貴田宏一にケンカ売る、高田登(登番1501)やら松野寛(登番1592)、松本進(登番1738)に縄谷(登番1875)、服部聰(登番2353)に遊佐明雄(登番2359)なんて図式で、あのころいいメンバー揃えてたよなぁ。え、騒擾の話? いや〜、結局ケガはしたけど、ああいうのは楽しかったぞ。おまえここまでの経験はまだないんだろ? すげぇぞ、みんながみんなでキ○ガイみたいな勢いで暴れるわわめき散らすわ、そうやりながら投票所の鉄柵を揺すって外すんだよ、そのあとはイスやらその鉄柵振り回すやらでガラスは割るわ警備員やお巡りなんかを近寄らせないようにしてるわ。ああなったらもう誰にも止められないな、警備員なんかみんなあのころからジジィばっかりだから機動隊が来るまでオロオロしてるだけ。そのうちに火がついて……、騒ぎがもっと大きくなる。やっぱ火をつけると話が早いな。……最初はゴミ箱からだったはずだけど、しかしオケラって火のつけかただけは巧いよな、他はなにができるか知らねぇけどよ。最初はあの穴場から新聞紙に火をつけてほうり込んでただけだったんだけど、誰かが新聞紙に外れ舟券をまとめて、それで火をつけて投げこんでた、あれはいいね。昔の舟券はペラッペラのヤツだから穴場の中に落ちたら火が燃え移って広がるんだよ。そうなると大した燃え方じゃないのに派手に燃え上がってるようにみえるしな。もうあのぐれぇの騒ぎ、おきねぇだろうなァ……。
 ……? なに、騒擾の話じゃなくてその発端になった事故? あ〜あ。アレな、たぶん西田に突っ込んだ吉田が怪我でもしたんじゃねぇのか? それで大あわてで救助艇がきて吉田を拾ってたみたいだけど、間違って最初に吉田じゃなくて福中の方にでも近寄ったんじゃねぇのか? なにせそれ見てたお客が「八百長だ!」って叫んでたから、間違いなく火種にはなったはずだぜ。その上で確定放送が流れて配当が発表されたんもんだから、オケラになったヤツらが暴れ出した。そんな感じじゃねぇのかな? お、そういえば、その騒ぎに乗じて穴場から金袋もってトンズラしたヤツもいたはずけど、そいつらの話はないのか? なんだ、ないのか?
 しかし胴元も馬鹿だと思わないか? あのまんまレース不成立にして全額返還にすれば最終レースなだけに、お客も騒がないでおとなしく払い戻し窓口に並んで帰ったはずなのによ。半端に最終レースのテラ銭もかすめ取ろうなんてヘンな色気おこしたんだろうから、お客が暴れる。あの時期の景気を調べてみろや。100円の値打ちが今とは全然違わぁ。しかもその上で配当が9400円だったっけ? 確か? そんな大穴で確定させちゃった日には天が許しても客が許さないよ。実際、暴れたしな。オレ? もちろん3−1は……。おいおい、それは聞かないってのが武士の情けってヤツだろよ。

資料:1972年の物価 米10キロ1,990円、牛乳1本26円、たばこ(ゴールデンバット)30円、20インチのカラーテレビ151,000円、パチンコ玉1個3円、新聞900円、ラーメン200円。大学卒初任給は49,589円。
この日(9日)の江戸川競艇入場人員 4860名 売上96,290,500円(10レース制)

世相:グアム島で横井庄一元軍曹発見。第11回冬季オリンピック札幌で開催・70m級ジャンプで金銀銅、ジャネットリン人気。連合赤軍浅間山荘事件。沖縄本土復帰。田中角栄・日本列島改造論を発表。米国ウォーターゲート事件発覚。第20回ミュンヘンオリンピック開催・日本男子バレー金メダル、アラブゲリラ選手村でイスラエル選手ら11人殺害。北爆。大阪千日前デパート火災・118人死亡。佐藤首相中国は一つ発言、台湾怒る。中国林彪副主席クーデター失敗・逃亡中飛行機墜落で死亡。日本人ゲリラテルアビブ空港で乱射26人殺害。北海道奈井江町石狩炭坑でガス爆発31人死亡。北陸トンネル内で急行列車きたぐに炎上・30人死亡。岡田嘉子ソ連から34年ぶり帰国。モスクワで日航機墜落61人死亡。ベトナム、中国、カンボジア、フィリピン、中東など各地で戦争、政変、内乱など激動。四日市公害訴訟、森永砒素ミルク、PCBなど高度成長のひずみ。


1000人が騒ぐ
江戸川競艇場 1974.09.03


 2日昼すぎ、東京都江戸川区東小松川2丁目の江戸川競艇場で開催予定のレースが、台風16号の影響で荒川から流れてきた流木などの浮遊物のため、すでに入場していた4000人の大半は中止のアナウンスで帰ったが、約1000人のファンが「日当を出せ」「交通費を出せ」と騒ぎ出した。
 このため小松川署員や警視庁機動隊員ら650人が出動、午後3時過ぎに場内から排除してまもなく騒ぎは収まったが、この騒ぎで、競艇場職員篠原要さん(45)ら5人が5日間〜10日間のケガ。千葉県市川市▲▲○、解体業××△△(35)ら3人が放火未遂などの疑いで逮捕された。

 この騒擾に参加していたのかどうかは不明だけど、江戸川乞食の実父(当時少しお疲れ気味の40代突入)のコメント<本人の記憶を元に構成しておりますので、一部願望や一方的な主観などもまざっているかと思われます>  ああ、昭和49年の台風か、ありゃすごかったぞ。なにせ荒川は増水してあの堤防スタンドが半分くらい水没したくれぇだしよ、おまけに多摩川は決壊するわ中日が20年ぶりに優勝するわで、大騒ぎだったな。実際まだ水は多いわ上からどんどんゴミが流れてくるわ、ポールんとこにゴミがひっかかってるわで、こりゃ中止だって思ったな。で、案の定中止。なんかそこらへんでおっさんどもがウダウダいってて、あ、こりゃあ火がつくかな〜とか思ってたけど、常識で考えればわかるだろって〜の。まぁ、台風相手なら中止にでもしておけば済むけど、こっちの、お客の台風は始末悪いよな。
 え。なんでそんなに詳しいんだって? まさか放火未遂の他2人に入ってるのかって? ば〜か。八百長ならともかく、風や波やゴミには逆らえないって。でもな、いまもあんまり変わっちゃいねぇけど、あの時の江戸川の役人どもっていまより全然、いや、もっとひでぇ態度だったからよ、確かになんとなく『火をつけた方が話が早いかも』って気にさせられたくれぇだったぜ。

資料:1974年の物価 大卒 82,629円 上野−青森間普通旅客運賃3,410円(国鉄) 都バス60円 ビール160円 かけそば150円 インスタントラーメン袋入り60円、カップ入り130円 新聞朝夕刊1700円 封書20円・はがき10円
世相:ジャカルタで激しい反日デモ。ソ連ソルジェニーツィン氏国外追放。ルバング島で小野田元陸軍少尉生存確認。鳥海山噴火。中国機初めて米国乗り入れ。伊豆半島沖地震。北の湖史上最年少横綱。ウォーター事件、米大統領ニクソンからフォードへ。韓国朴大統領狙撃、夫人死亡。原子力船むつ試験航行強行出港。三菱重工ビルで爆弾爆発。台風16号で多摩川決壊。巨人長島引退。田中首相金脈疑惑。インドネシアモロタイ島で元日本兵中村輝男(台湾籍)さん確認。佐藤栄作元首相ノーベル平和賞。内ゲバ頻発。愛国から幸福行きキップブーム。


観客が投石・放火
「強風中止」で1000人が騒ぐ 江戸川競艇場 1975.04.12


 11日午後2時半ごろ。東京都江戸川区東小松川2丁目の江戸川競艇場で主催者の都六市競艇事業組合が強風高波のため第五・第六の2レースを不成立とし、第七レース以降を中止した、この決定に約7500人の観客のうち、約1000人が「続行しろ」「全レースの舟券のカネを返せ」などと騒ぎ出した。一部の観客は正門改札口の防風板や払い戻し所のプラスティック窓に投石、メチャメチャに壊したのをはじめ、新聞紙、ゴミ箱に火をつけるなどして暴動状態になった。小松川署と警視庁機動隊員約200名が出動、午後三時半過ぎ、なお場内で騒いでいた約150人を場外に押し出し観客6人を公務執行妨害や暴行の現行犯で逮捕、同4時過ぎ、やっと騒ぎが収まった。

補足:風とケンカは江戸(川)の華なんて言葉が風説する原因になった騒擾です。しかし、前の年にこんだけばかでっかい騒擾が起きて、1年もしないうちにまた火の手が上がるってのも、まぁ、下町の客のケンカっ早さがわかろうものですね。で、リサーチしてると、江戸川を根城にする年金ジジィの昔話に出てくる暴動としては意外と昭和47年の江戸川大騒擾と混同されることも多いのには驚きですが、たぶん暴動皆勤賞だったんでしょうね。騒ぎの規模として、実際のところは規模的にはこっちの方が参加人数が小さかったという当時の証言もあります。ついでにいえば、まだ記憶に新しい前年の暴動で江戸川側も小松川警察との連携がきっちりできていて、警官隊の登場が早かったということもあります。ちなみに、見出しの1000人騒ぐはこの新聞の特徴で、平和島での騒擾、そして戸田での騒擾も暴徒の数を1000人に固定する傾向がある模様です。
 また、暴動の手口が殆ど47年の江戸川大騒擾に近いので、おそらくは当時も一緒に暴れていたお客が鉄火場の華の夢よもう一度という感じで暴れてみたのかどうかは知りませんが、この騒ぎ以降の事件に関しては、選手の八百長疑惑よりも、外れ続けたオケラが開催中止を申し渡されてぶちきれたというケースが大半になります。
 あんまりアテにならないウラ取りのつもりで聞いてみたところ、幸い? それとも不幸なのかはわかりませんが、我が愛すべき親父はこの騒擾には参加していなかったようです。おそらくは最後までぶーたれてた150人によるささやかな暴動だと思います。


江戸川競艇 4日目
3Rで救助艇に3艇が激突するハプニング 1992.09.28


 27日行われた江戸川競艇4日目3Rで、転覆事故処理の救助艇にレースの3艇が激突するハプニングがあった。1周1マークで稲崎伸がまくり不発で転覆し、救助艇が作業出動していた。2周目に上位を走っていた青木孝、荒川昭、山本富の3艇が次々と救助艇にぶつかり落水、エンスト事故。難を免れた後方2艇が1、2着に浮上し大穴となったもの。
 「救助艇がレースの邪魔をした」「不成立だ」と不満のファンが抗議したが、主催者側が「救助艇の作業が優先する」と説明して収拾。先頭を走っていた青木選手は“前方不注意”として責任失格をとられた。


江戸川競艇 救助艇回避走法違い着順変わる
ファンが抗議する騒ぎに 1997.08.04


 3日の江戸川競艇第9レースで、救助艇回避の走法の違いで着順が変わり、ファンが抗議する騒ぎがあった。1周1マークで立間充宏が転覆。2周目に先頭の栗田浩明は、航法上の指導通りに救助艇の外を回ったが、ほかの4選手は内側を通過。このため、ゴールでは1着小田一郎、2着今井道二となり、栗田は3着に落ちた。ファン約60人がファン相談所などで抗議したが、大きな騒動にはならなかった。なお救助艇の回避方法については明文規定はないが「可能な限り先行艇に従うよう」指導はされている。

補足:いやぁ、久し振りに機動隊まで登場した騒擾ですね。状況的には、記事に書いてあるとおり。バカな立間が内の栗田をツケマイに沈めようとして、逆に自分が振り込んで転覆。この時点で1=6勝負だったわたしの舟券は紙屑だったんで、諦めついたんだけど、この日(日曜)の9Rは上げ潮60cmの上に追い風6mときたもんで、転覆艇はどんどん流される上に次に、次に1Mへ戻ってくるのは45秒くらい後、すでに転覆艇も救助艇も土手近くまで流されてたにも関わらず栗田のあほうもむりして外側を走ろうとしたわけだ。実際、この時点で栗田の半独走状態で、それから遅れて来た他艇に回りしろがほとんどない上に、救助艇とターンマークの間がバカみたいに開いていたら、そりゃ自分の安全を見て内側走るわな。栗田の方も、「これなら内側行った方がよかった」って思ったろうなぁ。レバー放って身体まで持ち上げて急減速して狭い外を回ってたもんね。んで、その場で内側から4艇に差されてどべ、追い上げたけど3着止まり。騒いでたのはイナカ者だからしかたない。イナカ者どもは、舟券の当て方を満足に知らないくせに、常滑やびわこで最後まで騒いでたら金が貰えたって事件を知ってたから始末に悪い。正門前のトコで大騒ぎしてる連中を確認してみたけどわしの知ってる顔が一人も騒いでない、さすがに逮捕者は出なかったみたいだけど。ポスターはひっぺがすわ、直立不動の姿勢で構えている機動隊を背に、なぜか警備員にだけ食ってかかる田舎臭いオッサン。賑やかだった、それだけだけど。「騒いでるね」「まぁ、諦め悪いよ、江戸川なんだから10秒違えば水面もなにもかも変わるってことを忘れてるバカが悪いんだよ」「そろそろ火がつくかな?」「火がついたら見に行こう、さて10R……」さすがに、1M前の常連は冷静だった。


copylight: ・競艇恐怖新聞社
・参考資料 戦後値段史年表 週刊朝日編(朝日新聞社)・スポーツニッポンほか
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